雑談の和会

数年前、新宿の居酒屋の個室で8人の飲み会に参加したことがあります。

 

複数のメニューを8人で突っつき、主題は一切語らずほんとに気楽で楽しい和会でした。

 

共通の目的を持ち主題はあっても、この宴会は主題を語らない宴でした。

 

他愛もない会話に終始し、いつもと違う良き顔を見られ知らない事もしれて、私はこんな雑談が大切だと思っている一人です。

 

 

 

何回かこんな宴会に参加し何でもない滋味時代の私は生きていました。

 

最後を飾るに相応しい時間でした。

 

 

雑談はポテンシャルを秘めています。

 

リラックスするだけで自然治癒力が高まり、それぞれに効能効果を発揮するようです。

 

私はリラックスの効能を信じています。

 

18年から19年にかけて、あちらのミュージシャンにも効果を発揮したと思っています。

 

 

 

この件は四年以上リッラクスせずに一つに過集中し、同じ繰り返しで飽きが退屈しのぎのを超えて腐敗の要素を匂わせてきてるとあちら側とあなた方は、気づいていません。

 

嫌がらせとメッセージを兼ねればいつ何をやってもいいというマインドコントロールにハマり、虚言だとすでに暴露された大義名分で己を誤魔化しています。

 

時に噓も言う者も少なくなく、何をいっても嫌がらせだったりメッセージというのでは過集中すぎ私には届いていません。

 

非常識で危険な人権侵害に多くが手をかけています。

 

 

 

 

この件以外のあなた方の雑談でリラックスしてください。

 

あなた方やあちら側の知らない一面をしれたら、私はそれだけで嬉しい。

 

関係ない横道にそれているというご指摘を時々受けますが、雑談に〈より近く〉が言わばラジオです。