優しい人達の陳情を無碍にできない侍

私が村上春樹さんや菅原さん(吉原さんではありません)や、ラジドの渡辺さんが好きな理由は、あちらのミュージシャンの側に立って私に理解してやってほしいとそれ一点に言及しているからです。

 

男の気持ちの側に立つ野郎の結束の哀愁と愚かさに私は時に苦笑しています。

 

ですがタモリさんや小田さんは、私の側に立って頂き有り難くも勿体ない思いでいっぱいです。

 

味方の少ない私であり女性に寄り添う、優しくて雄々しくて男性的でもっと尊敬しています。

 

 

私も、味方のいなくなったたった一人の人の支えになってあげる事が私の方向性です。

 

 

 

笑っていいともを見て、タモリさんも同じ事を考えているのかとタモリさんとの距離に近さを感じました。

小田様の優しさ大きさは周知で、言うに及ばずです。

 

 

私は好かれるより私が好きかどうかが重要でモチベーションでした。

 

腹の中は怒りでいっぱいだったのに、怒りを一旦脇へどき、楽しいことが好きなあちらのミュージシャンに楽しませ捻れた心を開いてあげようと相手に沿う独自の傾聴法で年賀状のお礼を返したら、想定以上の効果を上げ、あちらのミュージシャンがリラックスしたのか事態は想像以上に多様に開きました。

 

バンドのメンバーと初心に返ってリフレッシュし結束が新たになって私は嬉しかった。

私自身を信頼させ私の新しい一面を開きました。

 

私が好きというモチベーションでなくとも必要とされる私である幸せは人間の幸福でした。

 

 

来談者中心法のような相手に沿うやり方で相手に沿い、相手に「幸財」を与え相手の必要性とされ19年を私は満足して終えました。

 

確かに草野マサムネ氏は、憎みきれないあんちくしょうです。

 

正確には嫌悪でなく憎みきれないあんちくしょうでした。

 

それが時にそこかしこに出て、私は世間で言う気まぐれな猫のように映るのでしょう。

 

あちらのミュージシャンの病気は、信頼される人の側にいて寛解に務めるのが一番だと高山医師は仰っていました。

 

私の一欠片にあちらの信頼を感じています。

成功した19年の一片の私を拠り所に、好きでなくともあちらは憎みきれないあんちくしょうですから好意より必要性に座を譲って又始めましょうか。