長い長いバアバの話

7が見つかっておめでとうございます。

 

nakayamaさんは今のところ運命の7です。

 

私はホッとしているし心からおめでとうと言います。

 

あちらのミュージシャンは最終的な孤独から逃れられました。

でも、あくまで今のところです。

 

女は現実的でゲンキンです。

 

何より人間の人生の先はわからない。

 

揺るがない運命にするコツは、今の、孤独から逃れられたという安心安全にたっぷりと浸って下さい。

 

今のところではない最終的決定的な形だけでもの孤独から逃れられる運命をしっかり手中に収めてただ一人の女性を手に入れてください。

 

家庭や結婚をものにし大事にすれば、人並な形だけもの孤独から逃れられるのに、己を知らないのか、寂しがり屋の己の確実な安定を見つける方法を選べない愚かさと未熟さに周りは振り回され、迷惑しています。

 

でも、今のところ不安は消えたはずです。

 

7は見つかり、今のベストな相手です。

 

過去の満ち足りた幸せをあちらのミュージシャンは自ら捨てたのです。

運命の人は変わり、選ばなかった己の選択を人のせいにしないで、今ある己の選択の運命の人を大事にしてください。

 

性格の良くなくあちらのミュージシャンにそっくりな相手が無理のなく好ましい人生を与えてくれる相手です。

 

運命の人は性格が悪く、嫉妬深くなくてはいけないです。

 

その性質からあちらのミュージシャンの望む傾向だという不安定で揉め事が耐えない人生を送れるでしょう。

 

私のように、まるで母親的なちょっぴり甘く寛大で許しもできるお帰りを言える女性は、あちらのミュージシャンの最大の価値観と言える恋と結婚の相手ではありません。

 

ジェットコースターに乗る落ち着きのない変化を希求する己に正直になり、欲を張り、タージマハールの温い安定を保険にしてはその相手を苦しめ、犠牲にする残酷な子供性を許してくれる稀有な女性を探さないことです。

 

そんな無駄な時間に費やしては人間に成れません。

 

誰だって人間として成長するのが一番の喜びです。

 

己に正直になって一つのことにエネルギーを注いでほしいです。

 

犠牲者の一人としても要請します。

 

己に良くしてくれる人間をスケープゴードにしても己の人生を満たしたいという、人間としてあるまじき人間の喜びに反する選択はもうやめて、人間として正直になってジェットコースターの人生を与えてくれる女性一人を運命の相手にしてください。

 

あちらのミュージシャンの数少ない好ましい傾向だった地元愛の強さを取り戻し、地元愛の強さの偉大さを知り、ベストの女性と育みここから大きくなって言ってほしいという私の願いは伝えます。

 

地元愛の強さは己を強くし、血に足をつけるより良い価値観です。

 

私が自他ともに求める確実にやったことは、縁結びです。

 

あちらのミュージシャンに本当に今必要なものを教え、選択させることで終わった過去の運命と今は別なのだと、新しい道に背中を押してやるきっかけになりました。

 

私はタージマハールではなく、墓になる気はありません。

 

もっとも過去の彼女は思った以上に女性で、よくやったと喜んでいます。

 

最終的に己を犠牲にしきらなかった。

 

利己的で残酷なあちらのミュージシャンから逃れられた彼女はタージマハールの名に相応しいです。

 

私もあちら側やあなた達と同じに生きる権利があります。

 

あちら側を活かし、あなた達の欲望を満たしあなた方が生き抜くために、私一人の人権と居場所を奪う殺人行為はこれ以上は好きにさせません。

 

あちら側とあなた方は、病み相当弱っています。

 

健康かつ多数派の暴力者を叩くのではなく、まず追い込み人為的な弱者に仕立てあげたマイノリティの弱い相手を徹底的に叩くあちら側とあなた方は、多数対無勢の弱者殺しに夢中になっています。

 

それに夢中になっているのが男性です。

 

女の腐ったのと言い換えていいです。

 

いじめや嫉妬は女性の特権のような女性の特徴でしたが、弱く己を見失った自信のない男性は、嫉妬が非常に強くいじめに夢中になると女性以上の残酷さを発揮します。

 

男性はそれを暴力で、初老のたった一人の女性に多数で行使するという弱さです。

 

弱っていようが自信がなかろうが、人殺しと変わらない暴力的いじめは言い訳になりません。

 

そこまで弱り己を見失うまで建て直さず、手をこまねいてほっておいたあなた方の責任です。

 

一人だったらここまでしないはずです。

 

多数という量的な数でいじめと差別を正当化し、特に男性がエスカレートしています。

 

 

ナチスユダヤ人迫害の収容所で、夜と霧という有名な作品に度々出てくる重要な場面を叙述します。

 

収容所で収容者を慰めるために最後の一片のパンを配った数人の男性がいたそうです。

 

最大の極限状態でも、人として偉大な他者をいたわり優しさを示せる数人の男性がいた事を収容所の収容者達は記憶に留めていたそうです。

 

なぜこれを書いたかといえば、ナチスユダヤ人迫害収容所で生き抜いた人間は肉体的に強い人というより、自分の価値としっかり繋がっていた人だということだからです。

 

また優しい人は強くてかっこよく美しいのだという事実です。

 

マークした相手を弱者にしておき更に孤立という弱者に仕立てそこを徹底的に叩くほど、最近の男性は弱り切り生命力も乏しい。

 

女性の特性は今更言うに及ばずで、そこを強力に推し進めた原因は、女性は頑張らなければ生き残れない状況で、追い込められた結果混乱し弱っています。

 

ママ友いじめに代表されますがママ友に限らず、女性全体に同性をいじめ差別し、些細な敵対視で戦争があちこち勃発しています。

信頼関係を強調しようが、世相が人間不信にビクつき自他の信頼が希薄ですから、弱いはずです 

 

 

過集中したいじめで己の生き残りをかけようが、弱く己の欲求不満はなくなりません。

一過性の暴力の喜びに理性品性を見失いいじめの快感に流されては乾きはやまず、己の人生が向上する訳はないのです。

 

暴力で生き残こる事が強さの証明になるのではありません。

死んでも生きる強さが真の強さです。