実態のない作為的キャラ

お気の毒ですね。

可哀想というより手遅れの感が否めないお気の毒です。

 

40歳過ぎていじめや差別、暴力で思い通りにしようという者達にお悔やみ申し上げます。

 

その年でそういう手段でしか事を成し得ない粗末で脆弱な人間性と人間の知性理性を持たない思考に打つ手なしだと思います。

 

侮辱でしか意志表現を持たない粗末なコンタクトをその年まで改善する機会がなかったというか、繰り返しの失敗もかいがなく、暗い人生をナルシステックに生きている現実直視直視できない弱さは本当にお可哀想です。

 

 

子供を持つ男性女性が父親母親と自称していますが、子供を連れていじめのために私に接近してきたり、わざと子供を泣かせている場を何度も目撃しました。

 

いじめをする父親母親は、己の実子にいじめを見せているのであり、いじめをする子に育つでしょう。

 

世にいじめで苦しんでいる実年齢子供の実態をなんとも思えないどころかいじめをする可能性のある実子に食事を与え大きくしているだけで、倫理観も人道も愛情も知性品性は全くありません。

 

Nは、私が検査と権威のある名医に診断を受け発達障害ではなかったと何度も伝えたのに未だに、発達障害だとか言っていますし、睡眠障害は睡眠に障害がいがあるという病名で障害者ではありません。

 

精神障害も障害という病名がつこうが法定障害者ではありません。

 

私の健常ではない足は曲がっていようが何キロもあるけ、走れます。

法定障害者ではありません 

 

 

人と意見が違うだけで発達障害だとか言うのは発達障害差別にほかなりません。

 

私ただ一人がいじめ被害者です。

 

多勢はいじめ加害者です。

 

見解の相違や意思の疎通がうまく行かないのは当然でしょう。

 

そういう意味で私は他と違うという観点は敢えて無視し、不自然に人と見解や方向性が違うだけで発達障害精神障害だからとまでいい、つまりは障害者にしようという歪んだ陰謀です。

 

人と方向性や意見が違う人を発達障害という診断基準はありませんよ。

 

無知と無理解のお粗末さを棚上げにし、人と意見が違う人間を当たり前のように発達障害だとかいうのは差別とご都合主義の策謀です 

 

 

Nは、ことあるごとに精神障害差別やそのような方たちを社会的弱者扱いにし、社会的弱者いじめをしてきました。

 

Nがし続けてきたように、精神疾患患者や社会的弱者が、人と違うだけで差別されたり理不尽な立場に立たされていると身をもって知りました。

 

理不尽な体験者として、精神疾患患者や社会的弱者を支援する何かをしたいという気持ちになってきます。

勉強をして知識、正しい情報を論理的科学的根拠に基づき彼らの一人として傍らにたつことも考えています。