幼児はわがままで己本意で感情的

あちらのミュージシャンはゲームをしています。

 

ずっとそうです。

 

nakayamaさんとsuzukiさんもいじめや差別、妨害活動で人の嫌がることをし注目を引きたがりゲーマーです。

 

アルバムの見っけがゲームの始まりです。

私を侮辱しいじめや差別でこちらが不愉快になる嫌な気持ちを呼ぶ負のストロークをしてきます。

 

目的は注目をあびるためです。

 

小学生の男子が、わざと関心を引くように嫌がらせをする幼稚な行為を50歳過ぎてもやるのです。

 

私の関心を引くため、とはいえ恋愛感情からかというより、試しと好かれないなら嫌われたほうが無視よりマシだというのか、または不快さで怒らせ引き止めておく行為です。

 

私が怒るのは、あなた方と同じ標準的人間としてごく自然な感情の発露です。

私は神でも仏でもありません。

 

忍耐の限界を超えています。

 

 

ゲームではありません。

 

ゲームだという理不尽な誹謗中傷名誉毀損に傷つき更に怒りが止まりませんでした。

 

恋愛感情があるというご都合主義の決めつけの色眼鏡で私をみる偏見や、私の怒りの原因を己等の攻撃や侮辱、いじめと差別をないとする無責任に怒りを禁じえません。

 

私の感情や行動にあなた方は原因を無視し結果までもご都合主義にジャッジメンタルしてきました。

 

 

いじめと差別、侮辱があなた方やあちら側とメディアにあるのに結果だけを見て、ゲームだとか事実を無視した発達障害やら精神疾患と名付け、または子供だという実態のないあなた方の都合のいいキャラ設定でいじめと差別を延々と攻撃してきます。

 

歪みが酷いあなた達に都合がいいキャラやドラマを多数と言う暴力で私の実体を全く無視しています。

 

合理的ではないです。

合理的というのもあなた達の決めつけの歪んだキャラ設定から発生しています。

 

 

私は論理的理性的であなた方と感情的でない「理性の愛」や「理解のために」解説や説明に時間を割いてきました。

 

私を弁護士だというように、私は私の弁護士だと思ってください。

 

 

あなた達は身勝手で子供みたいです。

 

わがままで他人への甘えと欲求が強い飽くなき子供です。

 

ああ言えばこう言うです。

 

しつこく説明しろ説明が足りないと抗議要求し、私が解説や説明をできるだけ論理的に理性的に話せば、今度は不自然だとか合理的だとあちら側やいじめの加担者の世間が負けてくるとああ言えばこうで、故意にいじめと差別の事実と深刻になった社会の劣化の論点をずらしてきます。

 

 

あちら側や世間はあまりにも感情的です。

 

女性中心のいじめと差別の事件は感情主体な事象ですから、男女ともに常に興奮と感情で先行され、女性にありがちな、嫌なものは嫌なのよ好きでないから排除するという余裕のない感情的居場所争いが幅を利かせています。