尊重を無視するのが力だと思っている愚かしさ

草食男子というワードを忘れていました。咲い

 

今の時代、老いも若きも男子は、草食系なんでした。

 

思えば8、9年前、同年齢の脳を研究されている医師の診察を受ける機会があり、流れで、私が今の社会の一つの風潮を批判したところ、その男性医師は急に腕組みをし深々と椅子に座り直し、「高橋さん、今の私達同世代の男性は疲れているよ」とほほ笑みをもって私の顔を興味深そうに見つめおっしゃいました。

 

それを聞いて瞬間意味がわからなかったのですが、私と同世代の男性は社会に怒りを感じ見解を述べる気力もないほど疲れていて、反する私は社会に批判する元気があるということだと解釈しました。

 

そういうところが現在も同世代の中高年に疎んじられていると一致していますから。

 

でも、疲れて弱くなったからといって、中高年にもなってやることといえば私につきまといやイジメをする、陰湿さで己を劣化させる方向へ流されるのはそれまで生きてきた経験値やかいがないと思うのです。

 

私は多数の人の人生の話を知りたいという好奇心と謙虚さは持ち合わせています。

 

良くも悪くも自分とは違う人の人生を心のなかでトレースできれば勉強にもなり、そうであっても、百人百様の人生にリアリティのある人間を見られます。

 

この件の箱庭の中で、弱くなった中高年は些細なことで感情的になり(子供化)、レジの邪魔までします。

 

私の前にレジをし、私にレジをスムーズにさせまいというか、私の前でレジをする先取りにかけているみみっちさの残念感。

 

男性は弱くなり感情的になると小学生の男子がするような、関心のある女性にいじめや嫌がらせをして気を引こうとしますが、そういいった類です。

 

または弱くなり女性より孤独を感じやすい男性の中には執拗にイジメをする男性がいますが、なにかの勘違いです。

 

いじめの暴力が己の力の自己顕示だと見当違いです。

 

いじめは暴力で、男性が女性に暴力を振るう時は弱さと自身のなさの自己表現です。

 

今朝、つきまとい、買い物の邪魔をされ、朝早い時間帯にそんなネガティブなことにエネルギーを注ぐ言わば病的精神状態の、自信喪失弱り退屈している複数の男性をお見かけしました。

 

すべて男性でした。

 

男性が草食系に変容し、お疲れ様です。

 

どこかに誰かに己の言いたいことを言ったり弱さを見せる場をもち、ニュートラルな精神を無くさない自己愛は私も含めて忘れないでいましょう。

余談ですが

某ミュージシャンは、子供っぽく女性化でもあり、私は男性だと思えません。

 

子供や女性と恋愛する気はないので、人間性の低さだけではなく、論外の対象です。

 

お疲れな異性として同情します。

が、しつこくつきまとわれいじめを受ける相手は敵であり、私の生命の妨害者なので、同情して大失敗し今に至る二の舞いはもう侵しません。

 

 

 

お疲れならいじめではなく、己の人生を語って下さい。

 

そのほうがお互いの心理的距離が縮まります。

 

イジメという暴力行為のために不自然で不合理な接近をするは不毛だし戦争で虚しいです。

 

お互い人間同士、人生を生きてきたと自認している部分を少しでも出し合って、多様な人がひとりひとり生きているという世界で有りたいと私は、人を尊重する基礎を構築したいと思っています。