日本砂漠

東京に出てきたばかりの頃、あれは幸運だったのか人に恵まれていました。

渋谷の小さな不動産屋は親身で、目黒の碑文谷のマンションを借りられるように骨を折ってくださった。

 

東急東横線は富裕層が多く治安もいいからと言って物件を勧めてくださった。

無職で50代の独り身の女性という損な条件を持っていた私に、違法なのかもしれない偽の職業を身分にしてくれることまでしてくれて、無事物件を借りられた。

私もそこまでしてくれた不動産屋を裏切る行為はしないで借り主としての義務は果たし、物件に住み続けられました。

 

東京で最初にあった医師が、当時共済病院の精神科の高山先生だったことも幸運でした。

 

あんな医師に出会ったことは後にも先にもありません。

驚くべき診察で、クリエイティブで優しく言葉以上に伝わるものがありました。

 

東京に出てきてから人に恵まれたのはこれだけではありません。

 

優しくない都会という印象は薄れるような人々に出会いました。

 

渋谷で公衆電話をかけようとしてお金を落とし探していたら、通りがかりの中年女性が声をかけてくれて一緒に探してくれました。

 

地下鉄のトイレで具合が悪くなりかがんでいたら、中年女性が声をかけてくださり、地下鉄の駅員室まで連れて行ってくださって、駅員さんの配慮で駅員室で休ませていただき回復しました。

 

渋谷の今はなき東急百貨店東横店では、荷物を持っていた私のために先にドアを出た40代くらいの男性が笑顔でドアを抑えて待っていてくださって、有難うございますと感謝を伝えたら、憎らしいことに更に笑顔で応えるという余裕のある紳士的な対応をする男性に出会い、東京は紳士もいるのだなと感激しました。

 

目黒の自宅付近では、狭い歩道を道を譲ってくれる老若の男性に何人も出会い、それも3,4メートル前から歩道を降りて道を譲ってくれるという信じられない行動です。

今まで私は道を譲る方だったのに東京に来てから多くの老若の男性に道を譲られました。

一言余計なことをいえば女性は全く道を譲りません。

 

匂いに敏感なのは男性の方だと知っています。

 

男女の二人連れと出会ったときに最初に私の匂いに気づくのは殆ど男性の方が先で、一応に気がついた男性は困ったような顔をしても視線を外し、気が付かないふりの対応をしてくれました。

一方の連れの女性の方が、匂いに気がつくと嫌味を呟いたり、不愉快さを態度に表すこともありました。

 

目黒の自宅のそばにあったダンススタジオのレッスン生は、レッスン後に集団でスタジオ前で集合していますが、よくそこに出くわした私は7年間の間、若い彼らに匂いに気が付かれたとしても冷たい対応にあった試しがありませんでした。

 

彼らも一応に私と目が合うと気まずそうに視線を外しそれ以上は素知らぬ顔で、人として礼儀を持って優しい対応を示してくれました。

 

ダンスをする人は人ともダンスできるのかとダンスをする人の見方が一新した出来事でした。

 

このようにこの件が起きる前まで、匂いについても人々の対応は、都会の人は冷たいという一般的な固定観念を良い意味で裏切る、幸運?と人に恵まれた7年間でした。

 

この件が起きてから、何もかも変わってしまった。

 

彼らが嘘をついているのか、人間が変わってしまったのか。

 

この間にコロナもあり、人々のメンタルと現状が良くなく不安である原因を除いても、私とこの件を融合させると殆どの者は一変してしまうのです。

 

匂いでさえそうです。

 

嫉妬が根本にあれば、これだけ人間は一人の人間に態度を変えるのです。

 

今では、7年間いたあの土地にちょっと寄るだけで、主に中年男性があっちこっちからつきまといと匂いへの拒否反応で嫌がらせをし、一人もいなかったのに足を引きずる者が現れ、私に接近した引っ詰めの女性は己の子供を泣かせます。

 

あの頃はごく少なかったのに、こんな時間という昼間に犬を散歩に連れて私の近くにくる者も多出し、どこも同じ風景になってしまい、独自性の特別な場所は無くなりました。

 

私がただの一般人だった頃は、東京という街でありながら、一人一人個性と優しさが感じられました。

 

今外出すると、のっぺらぼうにしか出会いません。

どこに行っても誰もが同じ顔です。

 

 

意識と個性を感じた人々さえ嫉妬という醜い感情の下に隠れ、別の良い面を出せなくなっています。

 

いじめと差別の人間性の悪質さだけではなく配慮や意識の高さもあなた方の一面です。

 

いじめと差別に拘って、変な力を無駄なエネルギーにすべて注いでいます。

 

人間には勝ち負けの価値しかないのではありません。

 

この件が起きる前の私は、人の全体を検索しあの人よりここが優れているけれど、ここは負けるなと勝ち負けの人の評価基準は相殺されて、フラットに見ることで、一人の人間の個性としてきました。

 

でもあちら側とあなた方は人の価値基準を勝ち負けにしていちいちに勝とうとするために、暴力で傷つけることが勝つことだとしています。

 

多勢に無勢が勝利でしょうか。

 

いちいちに争って勝ち負けの決着をつけたがり、それは本来の勝ち負けではなく言動や態度で傷つけるやり方が勝利なのでしょうか。

 

若さが歳を重ねた人よりも優れているのでしょうか。

勿論その逆も言えますが、現在の日本は、いえこの件は、

社会の全体が、無理やりそっちの方に持っていこうとしています。

 

匂いという原因不明で難治の症状を健常ではないとすれば、健常ではない身体を持つということは人間として精神の影も日向も知れ、健常な人々より、複雑でまともな価値を持てるのです。

 

決して弱者ではありません。

むしろ昨今の傾向として、健康で病に悩むこともない者のほうが、病気にしろ差別意識で無理やり弱者にし、多勢で一斉に攻撃し攻撃するくらい弱くなっています。

 

あなた方は脆すぎて非常に弱いです。

 

何が何でも思い通りにならなければ、破壊するまで潰してやろうとし、いじめは悪質な行為なのに、大人や親が己の実の子供と一緒になって、しかも手本を見せていじめの教育をしてたりもします。

 

わざわざいじめをしに引っ越してきては、子供連れで引っ越してきては家族ぐるみでいじめをする一家までいます。

 

この件では私へのいじめと差別を社会全体が黙認しています。

良くないことだと社会的に倫理的に知っていながら、いじめと差別の負の感情の垂れ流しを止めることもせず、過激になってくる一方で、社会全体に人間性の悪質さに歯止めがかからなくなっている事さえ、覚醒できずにいます。

 

あなた方のプライベートなストレス解消や不平不満、嫉妬の対象にされ、私はあなた方や組織とあちら側の犠牲になっています。

 

この件は元々始まりが違っていました。

 

強い嫉妬をいじめと差別に変えてきた誰かのせいで横道迷宮に逸れ、結局のところ、この件で重要なキーパーソンさえ目的から遠ざかり、誰も目的を達成できないままで後味悪く半端で終わるのです。