ご都合主義の運
運命などありません。
自分で作っていくものです。
恋愛だとか人間関係に運命求めているような者は、出会った人間をあれが足りないこれでは不十分だのケチをつけ、千載一遇の好機の出会いの人間関係を雑に扱い、運命という名の理想や妄想にかけては出会いを壊す。
草野マサムネがそのいい例です。
過去の交際相手は傍から見ても男性に運と幸せをもたらし、ともに向上していけそうな素敵な女性でした。
誰と言わず、あの女性この女性がそうです。
一人だけではなく過去の交際女性で素敵な女性はいました。
それを終わらせる愚です。
あれらが運命でなかったら、あちらに言わせたらあちらの運命とは、その時時の思いつきの必要性で、合理的ないいわけです。
私は元より嫌悪し人間性は嫌っていても作品は聞いていた程度で、作品を好んでいたのです。
今では5年近く付きまとわれ、もう人生は19年で終わったのだと本気に思うくらい、あの男に人生の終わりを感じています。
あちらのミュージシャンも嫌悪と拒否ですが、
何故、nakayamaやSが金魚のフンのように込でつきまとう運命なんでしょう?
nakayamaは、四年間私にひっついて転居先々、実家までつきまといいじめと差別を過激に過剰にしてきた張本人です。
Sも同様です。
そもそもあちらのミュージシャンが侮辱的対応、差別といじめで私に接してきた事から、災は起因しています。
いじめと差別、侮辱的対応は今でも変わりません。
そんな3人が運命の相手だと、誰がいい始め誰が決めつけたのです。
あちらの得になりメリットはあちらにあるだけで、私はいじめと差別、多方面の嫌がらせや妨害、自由を制限され、家族も不快な思いをし被害にあい、
私はあちら側から苦しみと我慢、怒り、デメリットだけしか受け取っていません。
そんな関係を運命だとか運だとか言う一般人です
高みの見物の対岸の火事である一般人は口を閉じなさい。
運命とは多勢の暴力で人為的作為的不自然に工作された強制的なものではありません。
一般人も己等の欲求不満と退屈のハケ口に、この件の戦争をやめる気がなく、他人の不幸は蜜の味で不幸にさせたい思いから、私に過大な損失のあるこの件を運だとか言っては終わらせたくない、あなた達のご都合主義、利己主義です。
あちらのミュージシャンに私の良い特性や人間を悪用され、長所や人間性を悪用する者に都合のいいことが運命だとかいうこの件は、全て私という人間不在なのです。
終わりにします。
私は唯一まともな人間の交流ができる家族とささやかに暮らして静かに人生を終えたい。