いいともの輪

タモリさんは繋がっているんだよとおっしゃっていましたが、私もそう感じていました。

 

これはある年齢になるとおそらく少なくない方がそう感じているのではないでしょうか。

 

というのも以前家族に、人生は何かしら繋がっていると話したら、家族も賛同したからです。

 

人間が繋がっているというだけでなく繋がりの関係性があらゆる物に存在しています。

 

都立大という大学を知ったのは予備校時代の下宿生との会話からです。

彼らは教員志望でした。

 

都立大は国公立大の中でも学費が安くという話でした。

 

すっかり忘れた50代にまさかその都立大という名称の駅付近に居住するとは思わなかった。

私がこれで生きていけるんじゃないかという人生の転機を感じた四年前の小さな公園。

そこにはサルスベリが一本植わっていて、近くに、思いもよらない後々関係が深いとわかる繋がりがありました。

 

二十一歳の笑いに関心がなかった私をお笑いに興味をもたせてくれたきっかけであり、忘れていた頃に浮上する得体のしれない人物。

 

五木寛之さんはレアな自分だと思えばいいとおっしゃっていました。

 

何かをしたとかしないではなく、たった一人の似た人が他にいないレアな自分だから値打ちがあるという名言は匂いのある私に、大きな意味をもたせました。

前後して、恩師の世界に一つだけの花がヒットし、レアな自分が私の基本になりました。

 

五木寛之さんの名言を知った影に、10代の頃読書をしそうにない同級生の女子がいて、彼女が五木寛之の本は全て読んでいると語り、背伸びしているとはいえ選択が大人っぽく似合わなさにショックを受けました。

彼女は蕎麦を友人と食べることになっても蕎麦つゆから手作りする子で、身の回りのものにもハンドメイドの小物があった。

意外性に驚くばかりの彼女でした。

彼女と会えば冗談を言う仲になるまでに、一年かかった。

 

友人ではなかったものの、このような背景が彼女の印象を強めました。

 

上京してきて郷里の知人と偶然あったのは3人だけで、その中のひとりが五木寛之好きの彼女でした。

まさか後年その五木寛之さんのお言葉を偶然見つけ、レアな自分を自分の礎にするとは思わなかったです。

 

余談中の余談。

私の生まれて初めての友人であり幼馴染は、東北から大阪の大学へ進学し、その後関西人になりました咲い。

 

数年前は、お笑いの上田さんに関心を持っていましたが、上田さんは赤塚不二夫さんの天才バカボンバカボンのパパにそっくりだとか咲い。

 

東京生活は杉並の、畳ではなく井草から始まり咲い、

訳あって目黒、17年からの希望の土地の二子玉川とある繫がりがあった驚き。

 

遠くない場所に瀬田キリスト教会を偶然見つけ、とっくに忘れていた記憶に驚き喜んでいます。

昔の作品ですが、こちらの教会の神父さんは、曽野綾子さんの作品に出ていらっしゃいました。

 

小田さんが建築家志望だったとか、ドラッグストア好きの私ですが、有名ドラッグストアチェーンのご子息だったとか苦笑。

 

岩手の一関出身のNSPというバンドのデビュー作がさようならで、私も20代の頃NSPが好きでした。

オフコースのブレイク作品がさようならでした。

 

キリがないほど繋がっていますね。