母性愛でダンス

私は某ミュージシャンとダンスを踊っただけです。

 

この話も何度も繰り返しました。

 

あのアルバムが出来て初めて事を知り、怒りが半端でなかった。

私を侮辱したアルバムです。

その上私のメールを無断借用していた。

 

でも、義理堅い私は年賀状をもらったお礼をして借りを返さなければと怒りを抑えて、年賀状のお礼を返すまでは我慢しました。

 

このアルバムが出来て、やっと某ミュージシャンの今までの可哀想な恋愛遍歴とその結果で傷ついてきたことを知り、またあの年になってもバンドで一人だけ独身で家族も持たず、こんな侮辱的なアルバムを作るネジ曲って弱った性向といい、可哀想な者なのだと同情もあり、受け止め優しくして落ち着かせてあげようと考えました。

 

怒ったとはいえ、私は今より前向きで冷静だったから今とは対応が違います。

 

そういう同情心から、弱って孤独な男の心とダンスしてあげたのです。

 

弱って孤独な男は特に女性問題でうまく行かない男はすごく自信もないから、あの男が某ミュージシャンである事を忘れず、一ファンとして控えめな態度を心がけたのです。

 

男性は特に昭和の男性は、男尊女卑的な女性に控えめにして男性を立ててもらうと満足するという昔の男性気質が根強く残っています。

 

いや、男尊女卑というより弱って自信がなく孤独な男には女性蔑視があります。

 

今回の件でも中年女性の私が主張し意思を通そうとするところが中高年の男性は、生意気だと気を損ねているらしいです。

 

日本の古い男尊女卑の考えで生きているのはあるのは男性の方です。

 

ひとえに年賀状の借りを返すまでの短い間だけ優しく傷ついた心を大事にしてあげようとダンスしただけです。

 

礼を返したあとはハイこれ以上はさようならです。

 

それをあの某ミュージシャンはファンという立場も一緒くたに、犬と呼んできました。

 

あのアルバムやジャケットを見ればそれなりに嬉しかったくせに、感謝や喜びは優位ではなくファンと言うだけでも見下し、優しく控えめな対応には犬と呼んで見下し侮辱してくるのです。

 

弱って自信が無くなり傷ついている男は、どうしようもなく捻じれ、人も見抜けず、優しさに感謝の念もありません。

 

優しさやあちらの痛いところを読んで合わせれば犬と読んでくる男性に特別な好意など生まれるはずがないでしょう。

 

その後、私の個人情報を広くメディアに売った事も知り、自分の個人情報を売るような、しかもミュージシャンや己のラジオ番組を持っているという立場も悪用し、倫理観が全くない異性に恋愛感情どころか最悪の嫌悪以外感じません。

 

当然の人間の心理です。

 

しかもあの男は今までも女性に暴力を振るってきた女性蔑視があります。

 

あんな侮辱的なアルバムを作られ私のブライドを傷つけた一件だけでも恋愛対象から外れています。

 

あなた方は、人間の心理を理解できていません。

 

独身のミュージシャンで、ファンとミュージシャンという関係で、声がいいとか一般的に言われているようですが?それや、全整形して美形になった顔とか?そういう条件が揃えば、相手を尊重したメールを送ったほうが恋愛感情があるというステレオタイプの決めつけです。

 

この件はメディアやあちら側にしてもあなたがにしろ、私以外にはステレオタイプの妄想のキャラや設定の決めつけがあちこちにあります。

 

匂いに悩んでようが普通に生きていましたし、人付き合いも普通にこなし、オタクの引きこもりでもありませんでした。

 

比較的私は一人でもやっていけ、人と付き合う時はそれなりに対応できます。

無理?などしていません。

 

人と関わる時は、普段黙っていてエネルギーが溜まっているからか自然とハイになり、また暗い気持ちなときでも対する他人の前で暗い顔をするのはどうも平板化していると思い出来るだけできるときだけでもいいから暗くならないように心がけでいます。

 

これが表です。

こういうことをするのが人間らしいという曽野綾子さんの言葉もあるように、せめて他人の前では暗い気持ちのときでも暗くないように

という心がけは社交術としても人に配慮する気持ちがあるからです。

 

 

話は飛びましたが、

 

某ミュージシャンとダンスし彼は嬉しかったはずです。

 

あの某ミュージシャンは統合失調症らしいですが、過去の女性遍歴から知り得る性質からしてもアンビバレンスがあるようです。

 

幸せを求める本音があるくせに不幸でいるほうが幸せだといい、眼の前にある幸せを結局壊してみたり、壊れたあとで己の本音に正直になって見たりしています。

 

付き合っている女性を愛しているのに苦しめたり暴力を振るうのもアンビバレンスの現れです。

 

そういうところだって可愛そうだと同情しました。

 

恋愛感情からではなく言わせてもらえば弱っている孤独な男性への母性愛のようなものからです 

 

 

そこから出たダンスを犬と呼ぶには某ミュージシャンといい、世の中の男性といいどこまで人の優しさに甘えるのです。