循環路線

この話は何度か繰り返しましたが、大事な事なので再び繰り返します。

 

私は嫌味を言うために、あちらのミュージシャンにメールを送信して始まりました。

 

ファンクラブの会報で、ギタリストが歩行者が停まってくれた車の前を走って通り過ぎるのは、運転手に気遣ってくれているからかなと呟いていました。

 

以前の私はいつもその歩行者でした。

 

 

細やかな事ですが、細やかな歩行者の気持ちをわかって頂いた嬉しさと感謝を伝えたくなりました。

 

この些細な一言で、嫌味全開のボルテージが一気に下がり、人物は好きでなくとも洋楽のように作品は聞き続けていこうかとノーサイドをプレゼントしました。

 

ノーサイドを送った事からもお解りでしょうが、一人の人間に思いは単純ではなく複雑です。

 

嫌味全開だけではなく、あちらの浮き沈みのこれまでの悲哀を一緒になぞり、気がついている私もいます。

 

振り上げた手を降ろさせた眼鏡の野郎の優しさに感謝し、ノーサイドをあちらのミュージシャンに贈った心境の変化は、優しさが伝播して新しい道を開く細やかではない繋がりです。

 

停まってくれた車の前を走って通り過ぎる歩行者の気持ちをわかってくれ、それを声にだして言って頂いたのがバンドのメンバーだったというのも繋がりです。

 

私は今まで暗さの中から明るさや温かさを探す事を良しとしていましたが、暗さもしっかり感じていたいと最近では複雑さの良き理解者でいる難しさを痛感しています。