ユーモアもウィットもなく余裕がない場所

交渉に応じない幼稚な相手は話を全くする気がなく共存と人権に無理解で、付き合う相手ではありません。

 

要するにあちら側や、あなた方は戦争をしたく平和から開かれた発展の共存は元から望んでいないのです 

 

 

私は当初から一貫してやらない、やる必要がないとしていましたが、私の目は確かだったと証明されました。

 

嘘つきで共存も協働もなく、幼稚な多勢対一人のいじめと差別の戦いで悪質な興奮を遊びだとかいう残酷と非常識な社会破壊活動者と一緒にやる必要性はありません。

 

非常識と残酷さにユーモアもウィットもなく、文化はない。

 

 

それをやったら私は死に、家族まで被害を受け続けます。

 

 

 

 

誰も彼もが何を言っているのしょう。

 

タモリさんさえ、よくわからないと評していた私です。

 

メディアも個人の評価も全く外れています。

 

今を見ていません。

 

「受けがよく上手く行った」過去話をあなた達は困ったときに必ず持ち出し、今をはぐらかす。

 

あれは必要性があって作り出したキャラです。

 

いい言い方をすれば、自分と相手のために必要性があった役割を責任を持ってやったのです。

 

誰だって上司の役割とキャラ、家庭での役割とキャラ、友達といるときの役割とキャラ、

恋人といるときのキャラとか多面性があるのが普通です。

 

あえてその役割というかそういう面を出す事はよくあることです。

 

それを演技とか役者と表現するのは曲解でゼロサムです。

 

非難される覚えはありません。

 

 

 

己らが妄想し作り出した私キャラを、己らが都合のいいときに持ち出し、己らのやっている悪意のいじめや嫌がらせを有耶無耶にしようとし、今を誤魔化し、私のせいにしようとしています。

 

各人、各組織が無責任です。

 

組織は所属感がない人間で占められ、いかに意欲やプライドがなく生産性が低く、活性化されていない社会なのかよく解りました。

 

誰にでも責任や役割はあります。

 

例えば

統一教会は、カラーと詐欺的商業活動等、追求され制裁を受けるのは当然でしょう。

 

しかし、個の信者をバッシングばかりというのは信者の立場に立てばどうでしょう。

そもそも統一教会に傾いた信者の悩みは身近な人間関係のすれ違いやトラブルです。

 

そこには一人だけが存在しているのではないので、関わった人間に皆何らかの責任があります。

 

謙虚になって良い方向へできることを各人が主体性を持って考える。

 

家族やパートナー、職場の人間関係が信者の責任だけということもなく、信者は苦しめられ悩んでいた被害者です 

 

 

統一教会のうまい勧誘に乗せられる条件は揃い、統一教会側のセールスに嵌った信者です。

 

何故信者になったかの原因を知れば、周囲の人間が対応や考えを改める事が一番統一教会から脱しやすく、離れられる場合が往々にしてあります。

 

 

 

謙虚になり、各人が良い方向へできることをそれぞれ役割と責任の一考に値します。

 

一方だけを責め、各人が主体的に積極的に良い方向へ行くよう入っていくことがありません。

 

と言いましても身近な人間関係は難しく、レベルを上げることはないとして、一方だけを責めず、謙虚になる位はできる人間でありたいです。

 

 

この件に関して言えば、私は自分の予想以上にうまくやりすぎました。

相手をよく知らず、情報が少ない変わった相手を丁寧に真面目にやりすぎた落ち度は後悔しています。

 

同情心を恋愛と勘違いされたり、ミュージシャンでかつラジオ番組を持っている立場で個人情報をメディアに売る非常識や、いじめと差別が酷い者だったと知りませんでした。

 

社交辞令で敬称つけただけで、尊敬や恋愛感情と勘違いする冷静さと客観視がない思考もついていけません。

 

私がどういう男性を好み、父や祖父の影響は免れず、その因子がないあちらのミュージシャンに恋愛感情はおろか、好意さえ持てないと冷静に判断できません。

 

私は男性が好きなのではなく、条件付きで評価し好意を持つ人間や男性がいると解釈がされていません。

 

 

 

 

 

ピストン西沢さんにせよ、正確に申し上げれば西沢さんの一部を高く評価し、何より情報を与えてくれた感謝を忘れていません。

 

感謝を伝えたつもりです。

 

あらゆる面で勘違され、実態とは相違する妄想された私キャラが先立っています。

 

そのため、誰も彼もが私ではないキャラをジャッジメンタルしています。