初期衝動は渋谷陽一さんの作った造語
あちら側は奪うばかりで、人権侵害をし人の尊厳や自由を奪ってばかりの与えることをせず人間ではありません。
人間の幸福は与えることです。
他者と己を幸せにする事です。
奪うだけではなく、あれも欲しいこれも欲しいと餓鬼のように欲を貪り食う。
与えることをせず貪欲なうちは飢えや渇きは癒やされません。
満たされることはありません。
私はあちらのミュージシャンに確実に癒しや幸せを与え、ギクシャクしていたバンドの結成を新たにさせました。
見っけのアルバムはバンドの演奏力の高さを改めて披露し、他の共演者とのフルオーケストラ力の高い作品集でした。
私は最初は歌詞が聞こえなかった。
演奏に聞き入っていました。
懐かしい作品集で、このアルバムでバンドから離れていた中高年のファンが戻ってきました。
幸福や癒やしを与えられたら、他者に与えたいという素晴らしい循環が生まれます。
そうしてあのアルバムはアリーナツアーのチケットが入手困難になる商業的成功を収めました。
(ピーター・バラカンさんが懐かしい気持ちにさせられたというフレッシュ感も偶には功を奏します。)
あのアルバムは歌詞が侮辱的で嫌なアルバムでしたが、歌詞が耳に入ってこない最初の演奏に感動した気持ちは離れていた中高年のファンも同様に心動かされ呼び戻されました。
私も与え、演奏に感動を与えられ、ファンに感動を与え昔のファンが戻ってきた価値はあったアルバムです。
同じことは二度と起きません。
関係性が変わったら尚更同じことは二度と起きません。
二匹目のドジョウは無駄無理です。
若さとフレッシュ感は違います。
違う側面はいくつもあり、18年から19年の終わりまで、与え与えられた人間の使命に幸福があった重要な側面を、思う事があって記しておきました。