チャップリン
私が自分を忘れ自分のためでもなく自分の事ではなく、あちら側のために文字通り自己犠牲をしたら、コメディになります。
チャップリンのコメディです。
私は月並みな人間ですから自分のためにならない自己犠牲は断固拒否です。
最も、自分がそうしたい、自分の意志があれば傍目で自己犠牲に映ろうと構いません。
しかし、この件に関してとあちらのために利益になることを自分を殺してやる気になりません。
いじめや差別を四年間受けてきただけでなく、あちら側の利益になることに自分の時間と人生を割こうと思わない。
あの男につきまとわれるのは拒否したいというのが、あの男を大事にしたためつきまといを受けた女性に共感観念です。
それだけでなく、私は過去の女性とは全く違っています。
付き合ったこともなく、恋愛感情ではない接触です。
嫌味を書きたくてメールを送り、不愉快なアルバムをかかれ、侮辱的で不愉快なライブをされ、しかし年賀状をもらった返礼のためと歪んだ精神を改善させようという目論見もあって楽しませる方法で不幸にも成功しました。
愛情ではなく社交辞令と自己防衛です。
それを延々と勘違いされ迷惑この上ありません。
私のあちらにあるのは終始一貫して嫌悪です。
以前は同情があり、それを愛情と勘違いされたのです。
知るほど可哀想でお気の毒だと思います。
55歳にもなってストーカー行為をしたり知っている限り嘘ばかり吐き、リスナーメールを無断借用する、ミュージシャンの社会的立場を忘れ番組を持っている立場でありながらリスナーの知り得た個人情報を流し、
非常識で倫理や秩序に知性品性がありません。
冗談と冗談では済まされない区別がつかず、
人を傷つける事に喜びを感じ、瑣細なことさえやりぱなしで無責任が酷い。
私の好む人間や、私が好意や恋愛感情を感じる異性は真逆です。
この件は私不在で、子供の視点のように一方的なあちら側の視点で全てことが展開され、あちら側の意見や視点がさも私かのようなキャラで作為されています。
この件事態が子供の事象です。
実年齢子供がいじめに参加できるレベルなのです。