華やかな裏の真実

私が抑うつ状態から鬱病または精神に異常をきたし発病したり、この件が遠因だと言えないこともない身体の不調が悪化してきたら、

または必ずそうなるとわかっている若年性認知症を発症したら、

あちら側は責任を取る気なのだと私はここに記しておきます。

 

あちらはやばくなれば逃げる性質が本性ですから、私が健常でなくなったら、恋愛ごっこの正体が露わになりますから

こちらが残酷でもなんでもありません。

 

 

あちらのミュージシャンは未だにしつこく粘着質で不快さを与え、nakayamaとSは、嫌がらせや差別の過激さを増してきます。

 

こういうところが女性の残酷性イコール幼女なのです。

 

曽野綾子さんの小説には残酷な女性が時々出てきます。

 

華やかな手という作品には、残酷な母親が出てきます。

格式ある家柄に嫁いだ嫁と姑の確執があった母親に、子ができない負い目を背負いやっと産まれた男児が片手に華やかな手(六指)を持って生まれ、母親は「誤って」赤ん坊の六指の手首を車のドアに挟み、その子は片手をなくしました。

 

自分の子供より嫁姑の確執の方を選んだ残酷な女性の母親です。

 

これと対照的に、長じて教師になった片手のない主人公は、女生徒と恋愛関係になり、その女性は残酷な母親によって失われた手の手首を頬に当て、「愛しい愛しい」と頬ずりをするのです。

 

愛と優しさに満ちた聖母マリアのような女性に対し、残酷な女性は己のことしか頭になく己の赤ん坊にも残酷さを示す。

 

他の作品にも残酷な女性は出てきてまるで赤子のようです。

活き造りの鯛が呼吸を止め、動きがなくなったと残念がり、エラに熱燗の酒を流し込み、やっと死にかけた鯛が呼吸をぶり返し動き出した様を手を叩いて「動いた」と喜ぶ女性。

 

そのまま死なせてあげる優しさはない。

残酷な女性は鈍感で優しさも寛容も慈悲もなく、子供のように己のことしかない。

 

nakayamaとSは、残酷な女性が常に本体です。